2009-01-01から1年間の記事一覧

NHKアジア語楽紀行「旅するトルコ語」

NHK教育チャンネルにアジア語楽紀行という番組がある。アジア諸言語に中に「旅するトルコ語」とトルコ語もある。NHK教育チャンネルは長い間,語学というと英語・仏語・独語・露語・西語・中国語が定番となっている。最近では,アラビア語,イタリア語…

廣瀬徹也著  『テュルク族の世界』(東洋書店)

テュルク族の世界―シベリアからイスタンブールまで (ユーラシア・ブックレット)作者: 廣瀬徹也,ユーラシア研究所ブックレット編集委員会出版社/メーカー: 東洋書店発売日: 2007/10メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 10回この商品を含むブログ (2件) を見…

慶應義塾大学語学研究所編 『世界の言葉 何を学ぶべきか』

慶應義塾大学語学研究所編『世界の言葉 何を学ぶべきか』(慶應出版社,昭和18年初版,昭和19年第2版)戦時中に出版された本で,いまでは忘れられてしまった本がある。この本は何語を語ぶべきかを,専門家が簡明に説明している。執筆者たちは,戦後活躍し,…

トルキスタン自治政府元首班チョカイと日本外交官の会談

ムスタファ・チョカイ(チョカイエフ,チョカイオール 1890-1941年,生ペロフスク,没ベルリン)は,ロシア革命期に活躍したトルキスタン主義の政治家。1917年のロシア十月革命後,コーカンドに成立したトルキスタン自治政府の首班。トルキスタン自治政府が…

タタールスタン共和国のカザン

ロシア連邦の中にタタールスタン共和国がある。その首都カザンである。住民の多くはタタール人である。タタール人はロシア語とバイリンガルであるため、日本人がここを旅行するとロシア人との区別がつかないが、彼らはタタール人としてのアイデンティティー…

ナリマン・ナリマノフの死

“Azərbaycan Xalq Cümhuriyyəti Ensiklopediyası”(『アゼルバイジャン人民共和国百科事典』,2巻,バクー,2005年)が出版されている。日本では《アゼルバイジャン民主共和国》として知られている。アゼルバイジャン人民共和国は,1918年年5月28日から1920…

マチャヴァリアーニ駐日グルジア大使

6月12日,マチャヴァリアーニ駐日グルジア大使が横浜の「人形の家」にグルジア人形を贈呈した。人形の家には,世界各国の人形が展示されている。グルジアの人形も展示される。大使はグルジアの初代駐日大使で,写真はご家族。グルジアは日本を重視し,アジア…

アラビアのロレンスとオスマン軍の将軍

ホセ・ファーラー(1909-1992年)が演じるオスマン軍の将軍がロレンスを拷問にかけ,ロレンスをもてあそぶ。このシーンにより,トルコ人の残虐なイメージが演出されている。非常にステレオタイプである。デビット・リーン監督の映画《アラビアのロレンス》で…

アルタイ学者ポリワーノフの粛清

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/polivanov.pdf 言語学者エフゲニー・ドミトリエヴィッチ・ポリワーノフの写真,逮捕前と逮捕後の写真。スターリンによる1937−1938年の粛清は,ソ連の学問にとり大きな損失を生じさせている。さまざまな…

1935年 神戸オリエンタル・ホテル

写真は,1935(昭和10)年9月15日,神戸オリエンタル・ホテルでアブドルアジズ元全インド・ムスリム連盟会長を来日を歓迎するために開催された夕食会を撮影したもの。アブドルアジズ元全インド・ムスリム連盟会長は,神戸モスク完成を祝賀するため…

スターリンの生地 ゴリ

写真はグルジアのゴリ市のロシア軍占領前の市街地風景である。南オセチアでのグルジア・ロシアの衝突後,ロシア軍がグルジア各地に進撃して占領したことはまだ記憶に新しい。ロシア軍はグルジアへの懲罰を意味したのであろうか,建物,港湾,鉄道,道路を容…

前田弘毅 『グルジア現代史』(東洋書店)

グルジア現代史 (ユーラシア・ブックレット)作者: 前田弘毅出版社/メーカー: 東洋書店発売日: 2009/02/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 19回この商品を含むブログ (4件) を見るユーラシアブックレットのシリーズで『グルジア現代史』が出版された。著…

「服部四郎ノート」内容一覧

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所から発行されている『アジア・アフリカ文法』(31号)に《「服部四郎ノート」内容一覧》が掲載されている。故服部四郎博士(文化勲章受章者,東大名誉教授,1908年―1995年)の学生時代,大学の講義,研究・調査…

アタテュルク・ダム

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/AtaturkBaraj.pdfトルコの南東部は歴史的に水不足のため開発が遅れていた。トルコはアタテュルク・ダムの建設を国家事業として実施した。このダムが出来たことでトルコの南東部は,肥沃な大地に変わっ…

ビシュケク・マナス空港の米軍機

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Manas01.pdf http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Manas02.pdfキルギスタン大統領は米軍駐留の延長を認めないと発表し,ロシア寄りの姿勢を明確に示した,米国にとって対アフガニスタ…

アラビアのロレンス

6月2日,NHKのBSハイビジョンで「アラビアのロレンス」をテーマに番組が放映されていた。吉村作治・サイバー大学学長,大河原知樹・東北大学准教授が解説していた。アラビアのロレンスは忘れられてはまた取り上げられる人物である。それだけ魅力と矛盾の多い…

Ali Merthan Dündar, Japonya’da Türk İzleri, Ankara, 2008.

Ali Merthan Dündar, Japonya’da Türk İzleri, Bir Kültür Mirası Olarak Mançurya ve Japonya Türk-Tatar Camiler, Ankara, 2008, 272p(『日本におけるトルコの足跡,文化遺産として満洲と日本のトルコ・タタール・モスク』) 日本や旧満洲に存在するモスク…

ハイバル峠とパキスタン・アフガン国境(続き)

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Khayber.pdf http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Pak-Afghan-01.pdf http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Pak-Afghan-02.pdfハイバル峠はアフガニスタンとパキスタ…

ハイバル峠通過後のアフガン・パキスタン国境

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/afghan-pak-kokyo.pdf写真はアフガン・パキスタン国境を往来する人々の様子である。門にパキスタンの旗が書かれている,こちら側がパキスタン領。門の向こうがアフガニスタン領である。建物の上にアフ…

カザフスタンの日本人墓地

カザフスタン共和国のアルマトゥに日本人墓地がある。第2次世界大戦後,ソ連は旧満洲を中心に50万の日本人将兵を捕虜として,シベリア,中央アジア,コーカサスに連行した。第2次世界大戦によって不足した労働力を日本人捕虜の強制労働により補おうとした。…

高田 純 『中国の核実験 英語/ウイグル語翻訳版』

Chinese Nuclear Tests 作者: Jun Takada出版社/メーカー: 医療科学社発売日: 2009/03/16メディア: 単行本 クリック: 12回この商品を含むブログ (1件) を見る高田純札幌医科大学教授が「高田純の放射線防護学入門シリーズ」で出版した『中国の核実験』の英語…

イブラヒムと頭山満

写真はイブラヒムと頭山満の写真汎イスラム主義者のアブデュルレシト・イブラヒムとアジア主義者の頭山満の出会いは明治末期であった。イブラヒムは昭和8年に再来日し,昭和19年に東京で没する。イブラヒムと頭山満はいろいろな会合で出会っている。イブ…

朝鮮戦争とトルコ軍

写真は国連軍として朝鮮半島に派兵されたトルコ軍兵士が休暇で韓国の町中を散歩している姿。朝鮮戦争が勃発すると,北朝鮮軍の勢いは米軍の予想を超えて破竹の勢いで南下し,釜山近郊まで米軍が追い詰められた。国連は国連軍の朝鮮派遣する決議をした。この…

アゼルバイジャン共和国独立記念日

5月288日は南コーカサスのアゼルバイジャン共和国の独立記念日。この記念日は,1991年のソ連崩壊により,アゼルバイジャンが独立を「回復」し,アゼルバイジャン共和国が独立記念日として制定された。この日はソ連から独立の日ではない。1918年5月28日,アゼ…

中央アジア研究会 『中央アジア叢書』

中央アジア研究会 『中央アジア叢書』(第1輯〜第6輯)中央アジア研究会とういう研究会が,『中央アジア叢書』というシリーズで昭和14年から15年まで合計6冊の小冊子を出版している。これらは国立国会図書館に収蔵されている。第1輯 中央アジア研究会編 中…

神戸モスク

写真は出来て間もない頃の神戸モスク。神戸は幕末開港以来,多くの外国人が居住し,貿易で繁栄してきた。貿易に従事した人々の中には,インド(当時は英領植民地下)からやってきたイスラム教徒たちもいた。篤信家のインド人たちが醵金してモスクを建設して…

日露戦争と親日老人

日露戦争が日本の勝利に終わると,日本はロシアや欧州列強の圧迫下に生活していたアジアの人々に希望を与えた。日本を直接知らないが,日本への片思いが親日家を誕生させた時代があった。大日本回教協会の機関誌『回教世界』(昭和14年6月号)の彙報に,…

昭和13年のイエメン王子訪日を歓迎するイブラヒム

小松久男教授の著作『イブラヒム,日本への旅ーロシア・オスマン帝国・日本』(刀水書房)は,アブデュルレシト・イブラヒムの生涯について要領よくまとめている。イブラヒムは日本の対イスラーム政策のシンボルであった。昭和13(1938)年は代々木上…

バクーのゾルゲ記念碑

リヒャルト・ゾルゲの諜報活動は,現代日本でも関心が持たれ,映画やドラマになっている。彼はアゼルバイジャンのバクーでドイツ人として誕生している。ソ連時代は英雄であったが,いまのアゼルバイジャン人には全く関心の対象にはなっていない。バクーでゾ…

羅紗売りのタタール人

流通の発達した現在では,行商という言葉は死語になっている。農村部で各家庭が自動車を持ち,スーパーやホームセンターに出かけ気軽に買い物にでかけている。昭和30年代までは今のように流通が発達しておらず,行商人がいろいろな品物を携えて戸別訪問しな…