トルキスタン自治政府元首班チョカイと日本外交官の会談


ムスタファ・チョカイ(チョカイエフ,チョカイオール 1890-1941年,生ペロフスク,没ベルリン)は,ロシア革命期に活躍したトルキスタン主義の政治家。1917年のロシア十月革命後,コーカンドに成立したトルキスタン自治政府の首班。トルキスタン自治政府ソビエト政権に打倒されると,バクー,イスタンブルを経由してパリに亡命した。以後,雑誌《ヤシュ・トルキスタン》(1929-39年,パリ)を発行し,トルキスタンの情報を提供し,反ソの立場から論陣を張った。帝政ロシアから逃れた中央アジアコーカサスの亡命者たちと交流した。欧州在住の亡命トルキスタン人社会で大きな影響力を持っていた。ベルリンで病没している。夫人はロシア人であった。

昭和戦前期の外務省は,東トルキスタン(新疆)に関して,カブールの日本帝国公使館を通じて,ある程度情報を入手していた。しかし,ソ連支配下に組み込まれた西トルキスタン中央アジア情勢に関して,直接情報を入手することが困難であった。それで,欧州在住の中央アジアからの亡命者から中央アジア情勢の情報を入手しようとした。そのような亡命者の一人である,ムスタファ・チョカイとパリやジュネーブでたびたび面談している。

1938(昭和13)年6月1日付け在ジュネーブ宇佐美総領事発の外務大臣宛機密公信によれば,チョカイは宇佐美総領事と面談し,クルバンガリーやイブラヒムを利用するという,日本の対イスラム政策はパンイスラミズムで時代錯誤であると批判している。

チョカイは中央アジア近現代史で語られる人物であるが,亡命者チョカイと日本が外交官を通じて直接結びついていた。この組み合わせは当時は知られることはなかった。現在の外務省は、反体制政治家や亡命政治家と人脈を構築するような、インテリジェンス活動をしているのだろうか。このような活動があるとしても、外交文書が公開される数十年後にならないと、その活動の実態について知ることはできない。そのときは外交も歴史となっている。