「服部四郎ノート」内容一覧

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所から発行されている『アジア・アフリカ文法』(31号)に《「服部四郎ノート」内容一覧》が掲載されている。故服部四郎博士(文化勲章受章者,東大名誉教授,1908年―1995年)の学生時代,大学の講義,研究・調査で使用したノート類が数多く,ご長男のお宅に残されている。これらのノート類が分類され,その概要が分かる。ただし,諸事情により公開されていない。

生前の服部四郎教授や奥さんのマヒラさんに何度かお会いする機会があった。服部先生から研究に関する貴重なお話を伺うことができた。先生は言語学の泰斗で,特にアルタイ諸語の研究では世界の研究者をリードしていた。先生が語る言葉は学問のみであった。

《「服部四郎ノート」内容一覧》を見ていて,故服部四郎博士の関心が非常に広かったことが分かる。奥様がペンザ出身のタタール人であったこともあり,タタールに関して,言語のみならず,歴史や政治動向にも関心があった。たとえば,《「極東鉄道問題」アヤズ・イスハキ,1934年10月21日 海拉尓にて》,《「反コミンテル運動」アヤズ・イスハキ,1937年1月8日「民族旗(ミルリバイラク)」(奉天発行,タタール語新聞)》,《吾が民族・文化的独立宣言の満二十年記念日》が目録に掲載されている。

実物を見ていないので,何ともいえないが,おそらくタタール語のパンフレットの翻訳,奉天(現・瀋陽)発行のタタール語週刊新聞『ミッリー・バイラク(民族の旗)』の翻訳であろう。ここに登場するアヤズ・イスハキは,タタール民族主義者で1933(昭和8)年に欧州から極東在住タタール人の組織化のために極東にやっきた。言語研究者であった,若き日の服部四郎博士は,いままで知られていなかったが,タタール民族に関して幅広い関心があったことは間違いないようだ。

生前,言語学しか語らない碩学であったが,残されたノートのタイトルを見ていると,その関心分野はずっと幅の広いものであったようだ。20世紀,日本が輩出した最高の言語学者,知の巨人の全貌を明らかにするため,服部四郎博士のノートが公開されることを望む者は私ばかりではないと思う。