『外国における国語の問題ードイツ・トルコ・中国ー』

高橋健二・柴田武・村尾力『外国における国語の問題ードイツ・トルコ・中国ー』(国語シリーズ47,文部省、昭和35年)の中で、柴田武が「トルコの文字改革」(36−67頁)を執筆している。故柴田武は社会言語学者、言語方言学者として、日本語の研究に…

アザデガン油田開発撤退  「日の丸」石油開発は無理?

国際石油開発帝石(INPEX)がイラン南西部のアザデガン油田開発からの撤退を発表した。アザデガン油田の権益約10%を放棄することとなった。INPEXの筆頭株主は経済産業大臣であるから、準国策石油会社である。日本は米国主導の対イラン制裁の圧力に屈した。…

小林高四郎『イスタンブールの夜 外交余憤録』と外務省革新派

小林高四郎の『イスタンブールの夜 外交余憤録』を前にブログで紹介したが、この小林の書籍を参考文献にしている新書がある。戸部良一著『外務省革新派 世界新秩序の幻影』(中公新書)。その288頁(革新派の戦後)に、小林は匿名にしていた名前が明らか…

トルコ・リラと人民元

温家宝首相がトルコ訪問した。エルドアン首相と共同会見をした。トルコと中国との貿易をもっと盛んにするため、貿易決済にはトルコ・リラと人民元(正しくは人民幣)を使うことに合意した。国際通貨であるドルもユーロも使わない直接取引を目指すとのことで…

フランス:ブルカ禁止法は「合憲」 ←欧州で多文化共生は虚構

フランス:ブルカ禁止法は「合憲」 来年にも施行 新聞報道によると、フランスの憲法評議会は10月7日、イスラム教徒が顔を含む全身を覆い隠す「ブルカ」などの衣装を公共の場で着用することを禁止する法律について、治安上の理由を重視し、合憲と判断した…

中央アジアとレアアース(希土類)

尖閣事件での中国の恫喝外交を見ていると、日本に対して戦略的な圧力を加えてきたことが分かる。中国の戦略的な恫喝外交に対して、日本の外交はなすすべがなかった。ゼネコン社員の逮捕も別件逮捕による人質に取られた形だ。民主主義のない、共産党独裁の中…

イラン人の反中・嫌中感情

テヘランでも中国人の数が目立って多くなっている。安価な中国製の繊維製品などが大量にイランに流入している。このためイランでは繊維業などで失業者が増えている。イランでは、若年者の失業者がもともと多いところに、中国製品の流入により、失業した人々…

テヘランと中国人民元

イランは経済制裁下にあるが、テヘランの市街地は活気に満ちていた。ホテルに多くの中国人ビジネスマンを見かけた。米国抜きでもイランは中国との経済関係を深めている。あるホテルの地下にあった両替商は、その主人はアゼリー人であった。ドル、ユーロはイ…

幻の服部四郎論文集 第5巻

故服部四郎教授の謦咳に接したことが随分前にあったが、今まであった学者たちの中で本当の碩学であった。学問が細分化され、学問を俯瞰することができなくなった時代であるから、さまざまな学問分野から碩学がでることはない。故服部四郎教授のアルタイ諸語…

回教研究所 『初等トルコ語読本』

初等トルコ語読本』(回教研究所発行、昭和15年)昭和8年10月、大久保幸次らが中心となって「イスラム学会」が設立され、トルコ語講習会が開催された。トルコ語学者の大久保幸次は、「回教圏研究所」を設立し、雑誌『回教圏』などを出版し、回教圏(イ…

昭和15年、アンカラの日本大使館

『世界画報』(国際情報社、昭和15年、第60巻第3号)の中に、日本大使館からアンカラ市内を望む写真が掲載されている。日章旗が掲揚されている建物が日本帝国大使館。当時の首都アンカラには、まだ建物が少ないことがわかる。

小林高四郎『イスタンブールの夜』

小林高四郎著『イスタンブールの夜 外交余憤録』(一洋社、昭和23年)故小林高四郎は、元朝秘史研究などモンゴル史の研究家として知られている。戦前、外務省に調査官として入省し、満蒙の調査を行っていた。第2次世界大戦中、トルコ大使館に赴任すること…

日本・トルコ友好 エルトゥールル号慰霊式典

トルコの地中海に面したメルシンでエルトゥールル号犠牲者慰霊祭が行われた。共同通信の報道によると、次のような記事であった。1890年に和歌山県串本町沖で遭難したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の犠牲者慰霊式典が2日、トルコ南部メルシンで行…

ソルマズ・ウナイドゥン前駐日トルコ大使

ソルマズ・ウナイドゥン前駐日トルコ大使が急逝した。明日29日(日曜日)、アンカラのコジャテペ・ジャーミーで葬儀が行われる。駐日トルコ大使として最初の女性大使であった。日本・トルコ間の友好増進に貢献していた。小泉首相がイスタンブルを訪問した…

エルトゥール 「海が結んだ日本とトルコ」

http://turkdunyasi-japonya.air-nifty.com/blog/files/Fune-no-kagaku01.pdf 8月7日から9月23日まで、お台場の<船の科学館>で、日本・トルコ友好120周年記念「海が結んだ日本とトルコ」軍艦“エルトゥールル”の遭難事故から、企画展が開催されてい…

嗚呼、ウイグル人記者に懲役15年!

昨年7月のウルムチ虐殺事件に関して、中国共産党の対応を批判したウイグル人新聞記者ガイラット・ニヤズ氏(51)がウルムチの人民裁判所で国家安全危害罪により懲役15年の実刑判決を受けた。共産党を批判することで、懲役15年になる国が隣国にある。日本で…

トルコと東南アジア友好協力条約

ASEANフォーラムがハノイで開催されているが、ASEAN基本条約である「東南アジア友好協力条約」にトルコが署名した。この条約へのトルコ加盟は、トルコの東方外交が具体的な形で現れた。トルコとASEANの関係は、さほど密なものではなかった。トルコはEU加盟を…

キルギス政変とマナス空港駐留米軍利権

キルギスのオトゥンエヴァ新政権は、バキエフ大統領を追放したが、バキエフ元大統領もアカエフ大統領を亡命させた。今回の政権が、今までの政権とは違っている点がある。米軍のマナス空軍基地をめぐる腐敗と利権にメスを入れようとしている。アカエフ元大統…

ダヴトオール・トルコ外相の書籍のギリシア語訳

トルコ外相の著者Stratejik derinlik(『戦略的な奥行き』)がギリシア語に翻訳され、アテネの書店でギリシア人たちによく売れているそうである。ギリシア人たちは、トルコ人が書いた書籍に関心を示すことはなかった。ギリシア人がトルコ語の書籍をギリシア…

ダヴトオール・トルコ外相の英国訪問

イスタンブールでトランジットでフライトを待っていたときに、トルコ外相の英国訪問のニュースを見た。トルコ外相は英国のジャーナリストを前に記者会見を行い、英国のジャーナリストの質問に英語でそつなく答えていた。それに比べると、日本の外相は、どう…

新疆ウイグル自治区とウイグル人

朝日新聞にアムネスティーインターナショナル日本支部が書いた「ウイグル人として生きる権利」という記事が掲載されている。この記事は新疆ウイグル自治区のウイグル人の人権状況を分かりやすく説明している。http://www.asahi.com/international/shien/TKY2…

新疆ウイグル自治区衝突事件、1周年

昨年7月5日に新疆ウイグル自治区で発生した衝突事件から1年が経過した。治安維持の名目で少数民族に対する締め付けが厳しいままである。漢族には優しく、少数民族には厳しい監視体制を続けているようでは民族間の融和は難しい。中国共産党は10年間に新…

トルコ人青年の死を悼む

6月18日,トルコ人メスット・シェネルさんが川口市で急死した。31才の若さであった。来日して14年,日本・トルコ友好のために尽くし,トルコからの留学生支援に尽力していた。17才で来日し,東京農大,筑波大学大学院で遺伝工学を学んだ。日本で苦労してきた…

アタチュルク像除幕式

笹川陽平・日本財団会長のプログに引き続き、和歌山県串本町の設置されたアタチュルク像の設置に関する経緯が書かれている。アタチュルク像除幕式-笹川陽平ブログ(日本財団会長)民間の善意と好意の積み重ねによって、アタチュルク像が串本町に設置されたこ…

トルコ・アタチュルク大統領銅像始末記

日本財団の笹川陽平会長が書いたブログで串本町に設置されたアタチュルク像の移転に関する顛末が書かれている。笹川陽平ブログ(日本財団会長)日本・トルコ友好を大切にしている串本町に設置されてよかった。

トルコの東方外交

トルコは軍部や政府が親米国家として、米国から信頼されて、米国の中東・東欧・コーカサスに対する橋頭堡と見なされてきた。しかし、トルコの一般市民には反米感情が強いことが語られることはなかった。中東イスラム諸国からは親米国と見なされて友好国とは…

トルコ大統領の韓国訪問と原発

トルコのギュル大統領が韓国を公式訪問した。李大統領との会談により、トルコは韓国に原子力発電所建設に優先権を与えたようだ。韓国のトップによる原発ビジネスの売り込みは、UAEに続き成功した。菅首相はオールジャパンによるビジネスの重要性にやっと気づ…

キルギス紛争に黒幕がいるのか?

キルギス南部で起きているウズベク系とキルギス系の衝突と襲撃に発展し、ウズベク系20万がウズベキスタンに避難したと言われる。キルギスタン中央政府の統治能力がないのは確かだが、短期間に事件が大規模に拡大しているのは何らかの勢力か、扇動しているグ…

中央アジアは中国経済圏?

中央アジア諸国と中国の経済的な交流が盛んになっている。中国の経済的進出とも言うべきか。1991年のソ連崩壊により中央アジア地域が棚ぼた式で独立を獲得した。しかし、独立を準備していたわけではなく、共産党の幹部がそのまま大統領や首相の政治指導…

キルギス南部の衝突事件

キルギス南部では、ウズベク系とキルギス系の若者が衝突し、約50名の死者が出ている。キルギス政府は南部での統治能力が失われているようだ。バキエフ元大統領を支持する勢力が南部オシュ市を中心に多い。キルギスでの首都ビシュケクと南部オシュ市との南…