上海ユダヤ難民記念館


戦前、ナチスユダヤ人を迫害したとき、ユダヤ人たちは欧州から海外に逃れる場所がなかった。米国もユダヤ移民を制限し、アインシュタインのような科学者、資本家など米国に役立つユダヤ人の移民を受け入れたが、貧しいユダヤ人の移民を受け入れなかった。英国は英国委任統治領であったパレスチナユダヤ人が移住することを制限していた。ユダヤ人たちが欧州から逃げたくても世界は門戸を閉ざしていた。

杉原千畝領事がリトアニアユダヤ人6000名に「命のビザ」を発給したことは有名である。パスポートを持っていても入国査証がなければ、どこにも行けないのが戦前の世界であった。そのような世界において、入国査証がなくても入れる場所がアジアにあった。それは中国の上海の国際共同租界とフランス租界であった。欧米列強が中国に持った特殊権益の場所であった。租界は植民地とは異なり、形式的に中国から土地を合法的に借りるというものであった。中国であるながら、中国ではない場所であった。

上海の租界は、ユダヤ人たちが入国査証がなくても入れる場所であった。しかし、欧州から上海は遠かった。シベリア横断鉄道を利用して極東に向かうには、ソ連の通過査証が必要で、杉原ビザを持っていないユダヤ人には無理であった。イタリア商船で欧州から客船で逃げてきたユダヤ人たちがいた。ナチスユダヤ人の財産を差し押さえていたから、乗船券を買えたユダヤ人は恵まれていた。ナチスは乗船するユダヤ人の財産を制限していたから、上海にやってきたユダヤ人たちは着の身着のままの家族が多かった。1937年以降、上海にやってきたユダヤ人は、1万3000人とも言われる。

貧しいユダヤ人たちが住み着いた場所は、戦前に日本租界と呼ばれた「虹口」地区であった。虹口は、「上海長崎県」とも揶揄されたように、海軍陸戦隊が守備隊として駐屯し、日本帝国総領事館が置かれ、多くの日本人が日本のように生活していた場所であった。上海事変後、中国人住民の多くが別の場所に逃げていたので、空き家が多かった。ユダヤ人たちと日本人が隣人となった。ユダヤ人たちは無国籍であった。

第2次世界大戦中、日本軍は無国籍ユダヤ人たちの住む場所に制限を加えた。このことを、「上海ゲットー」などと呼んでいるが、これは間違いである。欧州のユダヤ人ゲットーはユダヤ人だけを閉じ込めた場所である。虹口の欧州避難民制限地区には、日本人も中国人も生活していた。歴史は恐ろしいもので、「ゲットー」という言葉が独り歩きすると、上海にも欧州のようなユダヤ人ゲットーがあったように、錯覚させてしまう。日本はユダヤ人の行動の自由を完全に封じたように書かれているが、これも間違いである。何も知らないと、間違った情報が正しい歴史のように認識されてしまう。

中国人研究者、日本人研究者も、欧米人たちも「上海ゲットー」という言葉を平気で使っている。これは困りもである。日本軍国主義ナチスのようにユダヤ人を抑圧したという、欧米人の論理にのったものになってします。「日本=悪」という、ロジックには加担したくないものだ。

日独伊三国同盟を結んでいた日本は、親ドイツのように思われているが、必ずしもそうではない。ドイツから見ると、日本はユダヤ人に寛大であると思われていた。駐日ドイツ大使館付の「ワルシャワの殺人鬼」と呼ばれたヨーゼフ・マイシンガー親衛隊大佐が1942年7月に上海を訪問し、ユダヤ人虐殺の提案をした。彼の上海訪問でユダヤ人たちは恐怖を感じたという。

日本は五相会議でユダヤ人迫害に加担しないと決定していたので、親衛隊大佐の提案を拒絶している。ユダヤ人居住地区は、海軍管轄地区であった。これが親ドイツの将校たちばかりの陸軍管轄地区であったならば違った動きがあったかもしれない。ユダヤ人たちもこの点で海軍管轄地区の「虹口」にいたことは良かったことかもしれない。

ある中国の漫画は、親衛隊大佐と日本軍が共同でユダヤ人を殺害しようとしていたいうストーリを描いている。これは全く史料に基づいていない。しかし、英語で書かれた漫画であるので、これを読んだ外国人観光客は間違った理解をするに違いない。歴史に客観性を求めるのは日本人ぐらいかもしれない。歴史が政治であることに気づかないと、これからも日中間の歴史認識で日本は一方的に防戦にまわることなる。

第2次世界大戦後、多くのユダヤ人たちは上海から米国やイスラエルに移住した。ユダヤ人の一人、マイケル・ブルメンソールは米国に移住し、奨学金を得ながら刻苦勉励し、プリンストン大学博士となり、その後はカーター政権の財務長官まで上り詰めた。

かつて、多くの日本人やユダヤ人が生活した上海の虹口地区に「上海ユダヤ難民記念館」が開館している。ここを訪問する観光客はユダヤ人が多かった。入場料の50元は中国人にとって安い入館料ではないようだ。中国人見学者はいなかった。上海の中国人には、ユダヤ避難民に関する興味はない。この記念館では、杉原千畝の「命のビザ」のことも触れられている。ここを見学していて、日本に対する悪意がないのはよかった。