幻のドキュメンタリー映画《祖国を追われて》


映画人の川喜多長政日中戦争中の上海で中華電影を経営していた。川喜多は若いころドイツに遊学した経験があって、ドイツ系ユダヤ人の生活について知っていた。川喜多は国際人として、民族の差別や国境の障壁はなかった。川喜多は祖国を追われたユダヤ人に深い同情があった。

川喜多は、ユダヤ人の女流映画監督ゲルトルート・ヴォルフソンから上海に避難したユダヤ人の生活を映画にして欲しいとの懇請を受けた。川喜多はヴォルフソン監督の企画に賛成し、映画製作への協力を約束した。テーマは祖国を追われたユダヤ人が日本海軍の管理地区で平和的、建設的な仕事にいそしむ現実の姿を描くことであった。

このドキュメンタリー映画《祖国を追われて》は、完成の暁には、ユダヤ人に対する「全世界の一層の理解と支持を得るために、米国はじめ諸外国にも輸出したい」と考えていた。しかし、製作開始の時期が悪かった。一九四〇年九月、日独伊三国同盟が締結された。この政治情勢は上海に影響を及ぼすこととなった。上海の海軍も反ナチズムの映画撮影を、管轄地域での撮影許可を撤回することとなった。川喜多の撮影は、ユダヤ人の自主撮影に、中華電影が技術協力するという形で制作していたが、「八分通り出来たところで日本軍から遂に強権をもって、この映画の制作の無条件中止を命じられるに至った」のであった。

その制作中のスナップ写真は、『東和映画の歩み』に掲載され、その背景は上海事変後に復興に立ち上がる上海のストリート・シーンを表現していた。このスナップ写真から分かるように、ユダヤ人スタッフが製作を助けている。映画《祖国を追われて》が政治情勢のため、八部通りのところで幻に終わってしまった。現地の海軍(上海海軍武官でユダヤ通の犬塚海軍大佐)とともに、親ドイツ派が主流を占めていた陸軍に一泡吹かそうとした川喜多の権威に屈しない強さがあった。映画《祖国を追われて》は、上海のユダヤ人生活を知ることができる、唯一貴重なドキュメンタリー映画である。この幻の映画が上海か日本のどこかに残っていないだろうか。