カザンのコル・シャリフ・モスク
ロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザンの中心に城塞がある。これはクレムリンと呼ばれている。ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味する。中世ロシアにおいて,多くの都市は中心部にクレムリンを備えていた。
カザンの前近代の歴史は,11世紀初頭にヴォルガ・ブルガール人によって建設された。15世紀にはカザン・ハン国の首都として栄えたが,1552年カザンはイヴァン4世(イヴァン雷帝)に占領される。破壊されたカザン・ハン国の城砦のあとにはカザン・クレムリンが建設された。1708年にカザン・ハン国が廃止され、カザンはロシア帝国の地方都市、カザン県の県都となった。1774年,プガチョフの乱で破壊された。
カザンはロシア帝国では地方都市,ソ連時代には民族共和国の首都,いまはロシア連邦のタタールスタン共和国の首都となっている。民族的には,トルコ系タタール人が人口の半数を占め,ロシア人も半数ぐらいを占めている。タタール人たちはイスラム教徒であるが,世俗主義が進んでいてイスラム色を感じすることはない。カザンは19,20世紀のロシア帝国でイスラム・モダニストと呼ばれる知識人を輩出してきた。日本では知られることはないが,カザンはロシアのイスラムの中心の一つであった。
カザン・クレムリンの城塞の中にモスクが建設されたことは,タタール人にとってイスラムのシンボルとなっている。タタール人たちの信じるイスラムは世俗主義が進んでいるので,ロシア人との共存がうまくいっている。イスラムが文明間の衝突でしか理解できない日本人にとって,イスラムとロシア正教が共存しているカザンを知ることには意義があると思う。しかし,カザンを訪問するにも,ロシア査証(ビザ)取得が簡単ではない。ロシアが日本人の前にユーラシア大陸のイスラムやトルコ系諸民族を理解する障壁となっている。