キルギス共和国の南北問題

キルギス共和国では,首都ビシュケクの大規模なデモにより,バキエフ大統領は南部に逃れ,その後カザフスタン,そしてベラルーシに亡命している。ローザ・オトゥンバエヴァ女史がとオムルベック・テケバエフ氏が臨時政府を樹立している。バキエフキルギス南部出身で,彼はキルギスの南北対立を政治的に利用しようと考えているようだ。

首都ビシュケクの北部地域とオシュ市のある南部地域では,同じキルギスでありながら,歴史的・文化的・経済的に違いがある。北部はカザフスタンと長い国境を接し,かつては遊牧民の生活をおくっていた。南部はウズベキスタンのフェルガナ地域とも共通な生活圏を形成し,遊牧ではなく農業の定住生活を送ってきた。ウズベク人がいまでも少数民族として多く生活している。歴史的にはコーカンド・ハーン国の一部であった。

いままでのキルギスの大統領と首相は南北出身者のバランスを保っていた。たとえば,バキエフ前大統領(南部出身),クロフ前首相(北部出身)。しかし,そのバランスがあっても,政府が汚職で腐敗し問題を増大するばかりであった。

今回の政変では,ローザ・オトゥンバエヴァ女史(南部オシュ市生まれ,人生のほとんどを北で過ごした),オムルベック・テケバエフ氏(南部出身,政治的経験はビシュケクで積む)が臨時政府を樹立したが,10月の選挙では南北キルギスの住民たちがどのような投票行動をするか興味深い。その結果がキルギスの南北対立の構造をきわだだせるかもしれない。