新疆の錫伯族

中国新疆ウイグル自治区には多くの少数民族がいる。その一に錫伯(しぼ)族がいて,約3万5,000人が居住している。その内,約1万9,000人が新疆西部の伊犂(ウイグル語名グルジャ)市近郊の《チャプチャル・錫伯県》に住んでいる。

この錫伯族は,もともと新疆にいた民族ではない。清朝乾隆帝ジュンガル(準部)を平定すると,1764年に盛京(遼寧省瀋陽市)の錫伯人の一部が伊犂に派遣され,駐防兵となった。家族や馬をつれて,満洲盛京からモンゴル草原を経由して伊犂まではるばる移動した。満洲に残った錫伯人もいて,現在中国東北地方の遼寧省に約14万がいる。

《チャプチャル・錫伯県》の錫伯族は,8集落に別れ,農業や牧畜で生活している。錫伯族は清朝滅亡後100年近くも経過している現在でも,清朝の軍事組織である満洲八旗の軍事単位の《ニル》と呼んでいる。また,多くの錫伯人が家系に誇りを持っており,系図や氏族意識を大切にしている。

少数民族の錫伯族は,清朝公用語であった満洲語の口語である錫伯語を使っている。満洲語は清朝の漢化により使われなくなり,清朝滅亡により,使われなくなったが,新疆には《生きた満洲語》が残っている。中国東北地方の満洲族,錫伯族など漢化してしまい,満洲語は死語となっている。現在,遼寧省にいる約14万の錫伯人は満洲語も満洲口語(錫伯語)も出来ない。アイデンティティーとしての言語を失っている。

新疆の錫伯族は,新疆の辺境地帯に隔絶されていたため,民族のアイデンティティーを維持することができた。現地には観光客を呼び込むのに,瀋陽故宮をまねて錫伯族博物館を建設している。展示品を見学していて,現在の錫伯族と結びつくものは少なかった。現地の書店には錫伯語の書籍があったが,出版部数は多くて300部程度であり,錫伯族は書籍として中国語の本を読んでいるとのことであった。錫伯族は,《チャプチャル・錫伯県》に居住している限り,口語として錫伯語を維持していくであろう。書き言葉としての錫伯語が生き残るのは厳しい状況にあるように感じだ。

司馬遼太郎は,シルクロード撮影で伊犂まで出かけて,《チャプチャル・錫伯県》を訪問したかったが,当時外国人に解放していなかったため,訪問することができなかった。そのため,錫伯族が司馬遼太郎に会いに来た。戦前,伊犂から教育をうけるため旧満洲に来て,後に役人になった錫伯人がいる。戦後,日本移住し帰化した玉聞精一という人物である。彼の満洲語口語(錫伯語)に興味をもった服部四郎と山本謙吾は,彼の話す錫伯語を記録し,『満洲語口語基礎語彙集』というりっぱな研究書を出版している。司馬遼太郎も新疆から日本まで移住して玉聞精一に興味を持っていた。

新疆の錫伯族と日本が結びついたが,これは新疆に隔絶して生き残った満洲族を知りたいというロマンによるものであったのかもしれない。