アゼルバイジャン共和国の文字改革

2003年,アゼルバイジャン共和国では、ハイダル・アリエフ大統領(当時)が文字改革の大統領命令を発布した。その布告に基づき、2003年8月1日からラテン文字への切り替えが実施された。ロシア・キリル文字を基にして作られたアゼルバイジャン文字が現代トルコ語文字を参考にしたラテン文字に一斉に切り替わった。7月31日まで新聞はキリル文字であったが、8月1日は全てラテン文字となった。
これは1928年にトルコ共和国ケマル・アタテュルク大統領が実施した文字改革と同じように強制的であった。トルコとアゼルバイジャンでは、強権を持つ指導者が文字改革を実施する確固とした意志があって実現した。中央アジアウズベキスタンの場合は、権威主義的な大統領が統治しているが、ラテン文字移行も政策として実施している。しかし、漸進的で中途半端であるため、ラテン文字の学校教科書が出版されていると同時に、キリル文字表記の書籍や雑誌が出版されていると、ウズベキスタンラテン文字化は思うように進んではいない。
アゼルバイジャン語の文字表記は、1929年までアラブ文字を使用していたが、ソビエト共産党の指導により、1929年からラテン文字を使用することとなった。それから10年後、スターリンが非ロシア系少数民族(トルコ系やモンゴル系などイスラム教徒)へのロシア化同化政策ソビエト連邦内で強力に推進した。具体的な政策として、少数民族言語の文字表記がラテン文字からキリル文字に移行することを決定した。アゼルバイジャン語も、1939年にロシア・キリル文字表記となった。1991年のソ連崩壊により、アゼルバイジャンが独立すると、人民戦線などはラテン文字への移行を主張し、それが国会で決議された。しかし、ラテン文字への移行は中途半端であった。90年代のアゼルバイジャンは、経済的・政治的な混迷もあって、文字表記の状態はウズベキスタンと余り変わらない状態にあった。
アゼルバイジャンでは、アゼルバイジャン語の文字表記がアラブからラテン、そしてラテンからキリル、キリルからラテンへと移行した歴史がある。ソ連時代のアゼルバイジャン語のキリル文字使用は、モスクワの政治力が文化面でアゼルバイジャン人に対して、ソビエト・ロシア化を推進し、個人の生活までコントロールするというものであった。それと同時に、トルコ共和国トルコ語と距離を置くことで、文化面での汎トルコ主義運動に楔を打つことであった。
1939年、アゼルバイジャン語のキリル文字表記への移行と同時に、アゼルバイジャン人の間でロシア語教育が一般に普及していく。教育を通じて、イスラムから距離を置く世俗化(セキュラリズム)が進み、アゼルバイジャン人はロシア語・ロシア文化を愛好するようになった。文化的にロシア・ソ連の影響が増大し,同じことは中央アジアやシベリアでも同時並行的に起きている。しかし、キリスト教を信仰する少数民族アルメニア人,グルジア人には、民族固有の文字を使わせている。スターリンには、イスラム教徒に対する差別的な感情があったに違いない。
ソ連時代、モスクワ中央で政治局員(ポリトビュロー)にまで上り詰めたハイダル・アリエフ(イスラム教徒としてただ一人)がラテン文字化を断固として推進させた。彼の政治力の背後には、一体何があったのであろうか。キリル文字を捨てることは、ロシアから距離を置くことを決定的に明示することなる。KGB出身で筋金入りの共産党であった、ロシア語・ロシア文化に中で生きてきたアリエフは、アゼルバイジャンの将来は西側との協調なくし発展はないと考えたのかもしれない。アゼルバイジャン語のラテン文字表記の採用に断固とした立場を取ったのであろう。
いまのアゼルバイジャンの大学生やそれ以下の世代は、初等教育中等教育そして高等教育でラテン文字教育を受けている。このためキリル文字が読めないか、読むのが苦手になっている。同時に学んでいる外国語はロシア語ではなく、英語となっている。ロシア語が出来ない世代が出てきている。若い世代は欧米志向となり、ロシアへの関心はない。ソ連時代に教育を受けた世代がロシア語・ロシア文化に愛着をいまなお持っているのとは対照的に、若い世代はロシアを外国として、ロシア語・ロシア文化を異文化として意識している。
アゼルバイジャン語のラテン文字表記は、アゼルバイジャン人をロシア語・ロシア文化圏から決別させていく。ソ連、ロシアそしてアゼルバイジャンでは、言語学(言語政策)という学問が極めて政治と結びつき、人々の生活に大きな影響を与えている。日本の言語学が純粋な学問で専門家だけの学問であるのとは非常に異なっている。
日本は漢字文化圏にいて漢字を使うのが当たり前となっているが、ベトナム北朝鮮のように、漢字を捨てて漢字文化圏を離脱した国もある。文化政策が文化をコントロールし、その後の社会に大きな影響を与えていく。漢字を捨てたベトナム北朝鮮も中国の文化的・精神的な桎梏から解き放されている。日本では、文化というものを軽視し、文化行政は貧困である。文化政策が国民生活への影響を考えなくてもすむの、日本が平和な証拠かもしれない。