戦時中のC機関,君府特務機関

外務省外交史料館に所蔵されている外交文書の中に,第二次世界大戦イスタンブルにあった日本の特務機関(情報機関)であるC機関に関する外交文書がわずかに残されている。Cとはイスタンブルの旧称であるコンスタンチノープルの頭文字を取っている。日本の情報機関がイスタンブルに存在していたはほとんど分かっていない。
第二次世界大戦中,トルコは戦争の帰趨が決まるまで中立を保っていた。初代大統領ケマル・アタチュルクが1938年に死去した後は,イスメット・イノニュが第2代大統領として、「内に平和、外に平和」の外交路線を踏襲し,巧みな外交により第二次世界大戦に巻き込まれることはなかった。
 戦時中,英国,米国,ドイツ,ソ連などは情報部員を中立国トルコに派遣し、情報収集を盛んに行っていた。欧米諸国が諜報活動でしのぎを削る中、日本も総領事館と陸海軍駐在武官が共同して諜報活動を行っていたようである。
随分前(10年ぐらい前),シリア大使で退官したアラビストの多田元大使と雑談したときに,戦時中イスタンブルでC機関員として活動したとのことであった。イラクの枢軸派(親独)高官をトルコ経由でブルガリアに亡命させたこと,戦時中外交関係のあったソ連のバクーを訪問し,GPU(後のKGB)に監視されたとことなど語ってくれた。海軍は駐在武官の松岡明夫海軍大佐が責任者であったそうで,陸軍の話を聞こうとしたら,今は立命館大学教授の某氏が多田大使との面談に登場したので,C機関の話はここで終わってしまいました。
この雑談で,多田元大使が多田駿陸軍大将(参謀本部次長などを歴任)と親戚であることも教えてくれました。