嗚呼、アタテュルク像!

5月6日の産経新聞の記事を読んで考えさせられた。トルコ共和国建国の父、ケマル・アタテュルク初代大統領の像の扱いをめぐって、新潟でもめているそうだ。1996(平和8)年、像がトルコから新潟県柏崎市のテーマパーク「トルコ文化村」に寄贈された。しかし、「トルコ文化村」が破綻した。柏崎市は民間業者に像を含めてテーマパークを売却した。その像の扱いが問題となっている。これはゆゆしき問題である。
第2次世界大戦後、日本ではGHQ命令によって、歴史上の人物、軍人の銅像が撤去され、銅像というシンボル性に疎くなっている。東京で身近な銅像と言えば、渋谷駅のハチ公、上野の西郷さんの銅像ぐらいであろう。このため、外国の元首であった人物の銅像に対する扱いで非礼を行っていることに鈍感となっている。国旗も国歌も同じである。日の丸が否定的に扱われるのに、平然としている人が外国旗に対して礼を払うことを理解できるであろうか。
ムスタファ・ケマル・アタテュルクはトルコの人々にとって特別な人物である。その人物の銅像や絵画はトルコの至る所にある。そして、トルコ人は彼に対して老若男女を問わず、彼に畏敬の念を抱いている。第1次世界大戦で敗戦したオスマン帝国が英・仏・伊・希の欧州列強により占領され、分割されそうになった。トルコ人たちは彼の指導のもと一丸となって、欧州列強の侵略を跳ね返し、最終的にトルコ共和国として独立を達成した。独立解放戦争中、多くのトルコ人の血が流れ、命が失われた。トルコ共和国の独立はトルコ人の血と汗の代償であった。トルコ国民は、戦いの指導者で独立後の初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタテュルクを尊敬しているのだ。
このようなトルコ人にとって特別な人物の銅像が日本でぞんざいに扱われているとトルコで報道された。この報道により、トルコ人は日本人や日本に対して怒っている。これはトルコ共和国の歴史を知っているか否かにかかわらず、外国元首の像に細心の注意を払うのは当然である。アタテュルク像に対する取扱いに細心の注意を払わないことに鈍感になっている日本人の側に大いに問題がある。トルコでは、アタテュルクを侮辱することは刑法により罰せられるのは、彼への冒涜を許さないというトルコ人の意志の表示でもある。
戦後のGHQ命令の影響によって、戦後の日本人は銅像に対するシンボル性への理解が欠如している。これが日本人の間でならば問題はないかもしれないが、諸外国との関係で同じ感覚になっていることが大問題である。アタテュルク像の取扱問題は、国内問題というよりも、日本がトルコから非難を受ける外交問題であることを、関係者は認識して頂きたい。
トルコと日本の間で多くの人々の努力が長い間友好関係を構築してきたが、この問題で両国の友好関係が冷却してしまうことに危惧の念を抱いているのは、私だけではないと思う。この問題解決に向けて、ネット上で署名活動が始まっている。
≪アタテュルク銅像に関して、「ムスタファ・ケマル像を移転する会」(http://www.shomei.tv/project-932.html)のサイトを参照して頂きたい≫