トルコ:スカーフ問題に関する政府首脳発言(現地報道)

9〜11日付のトルコ現地各紙は、イスラム風スカーフ問題に関する政府首脳の発言を次のように報じている。

1. ハイリュンニサ大統領夫人(常時スカーフを着用)は、8日、訪問先のロンドンで在英トルコ人と懇談した。その際、学生の一人が「初等教育におけるスカーフ着用を好意的に見ているか」と質したのに対し、同夫人は「この問題における無知があるとすれば、我々はそれを取り払わなければならない。初等教育の生徒が自分の意志でスカーフを被ることはありえない。これは、自ら決定を下せる年齢に達した時に自分で決定を下すべき事柄である。スカーフ問題で、トルコのエネルギーは何年も空費された。様々な問題がようやく解決され始めている中、スカーフ問題も時間とともに解決されることを望む」と述べた。

2. 9日、滞在先の英国でユヌス・エムレ文化センターのオープニング式典に出席したギュル大統領は、(初等教育でスカーフは被るべきではない)とのハイリュンニサ大統領夫人の発言に賛成するかとの記者団の問いに対し、「完全に賛成である。反対する理由がない」と述べた。

3. 10日、G20サミットおよびバングラデシュ訪問への途次、記者団がスカーフ問題に関するギュル大統領夫妻の発言に水を向けたのに対し、エルドアン首相は、「この件に関して、全ては来年の総選挙の後(に議論される問題)だと考える。新憲法が重要であり、新憲法制定によりこの種の問題がクリアになると考える。私は自由の定義について個人的な考えを明らかにするつもりはない。なぜなら、自由に対する私の信条は大きく異なるからである。この考えを決定機関、特に司法と共有するのがどれほど難しいかは過去に経験済みである」と述べ、初等教育におけるスカーフ着用の是非について、否定も肯定もしなかった。

(過去の関連報道)

2008-01-16 エルドアン首相は、大学や公共の場におけるスカーフ着用禁止の撤廃を試みるとした。憲法改正を待つ必要はないとした。

2008-01-28 トルコの与党公正発展党と野党国家行動党は、公共の場でのスカーフを禁止した憲法と教育法の改正を行うことで合意。憲法10条、42条、高等教育法17条が対象。

2008-01-29 トルコ国会に、公共の場や学校でスカーフを禁止した法律の改正案が提出された。

2008-02-03 アンカラで約12万人の世俗派が、スカーフ解禁に反対するデモを実施、各地でもデモが行われた。

2008-02-06 トルコ国会は、学生が学校でスカーフ着用できるとして憲法改正法案を可決(賛成401-反対110)。第一回投票で、2-3回投票は9日の予定。

2008-02-09 トルコ国会は、大学でのスカーフ着用を可能にする憲法修正案の第2回投票を行い、賛成411、反対103で可決。反対は、共和人民党、民主左派党等。同法案は、大統領承認に付される。

2008-02-22 ギュル大統領は、大学内でのスカーフ着用を認可する憲法修正案を承認。共和人民党は、憲法裁判所に修正の取消しと求めると報道された。

2008-06-03 憲法裁判所は、大学でイスラム教徒の女性が着用するスカーフ(ヒジャーブ)の着用を許可する法律を無効にするか否かを審議するとした。

2008-06-05 トルコの憲法裁判所は、2月の国会が可決した大学内でのスカーフ着用認可の法案は、世俗主義の原則に反するとの判断を示した。

2008-06-06 与党の公正発展党は、最高憲法裁判所が、大学でのスカーフの着用を合法とした判決を覆したことを、憲法に違反しているとして批判した。

2010-10-19 トルコのギュル大統領は、18日より同国を訪問中の独国のウルフ大統領夫妻を大統領府における歓迎式典で出迎えた。ギュル夫人は、常時イスラム風スカーフを被っているという微妙な問題から、ギュル大統領の就任以来、大統領府での歓迎式典には参加してこなかったが、今回は出席した。なお、ウルフ独大統領は、独大統領として初めてトルコ国会で演説を行い、両国がNATO加盟国として責任を共有していると述べた。

報道を見ていると、トルコが国是としてきた世俗主義は、徐々に変化していことは間違いない。政府だけではなく、トルコ国民もそれを否定しない、雰囲気と方向に向かいつつあるようだ。

東京回教礼拝堂 『建築雑誌』(第52集、第642号)


『建築雑誌』(第52集、第642号、昭和13年9月)の中に、「東京回教礼拝堂」が竣功建築物として紹介されている。

代々木上原に現在ある東京ジャーミーは、トルコ宗務庁によって設計された。トルコでよく見かける建築様式である。

このモスクが建設される前、昭和13(1938)年に竣功した「東京回教礼拝堂」があった。このモスクに関する写真は、早稲田大学所蔵の大日本回教協会資料に残されている。設計図などその他の資料は残されていないようだ。

『建築雑誌』にはモスクの写真のみならず、設計図の写しの一部が掲載されている。これは東京モスクを知る上で貴重な情報を提供してくれるが、この設計図がどこかに残されていれば、日本のイスラム建築史にとって貴重な史料をなるのだが…。

中国企業によるイラン油田開発

アーザーデガーン油田開発および中国企業によるイラン油田開発に関する、8日付イラン現地情報サイトによると、

1. アーザーデガーン油田開発に関する石油省次官発言(11月8日付Mehr News)

(1)ホジャステ・メフル石油省次官は、メフル・ニュースとのインタビューにおいて、アーザーデガーン油田開発に関する中国を含む外国企業および国内企業数社との交渉について言及し、いかなる条件においても、アーザーデガーン油田開発を停止させることはないと発言した。ホジャステ次官は、現在、国内および海外の投資家と同油田に関する交渉が行われ、石油省に対して、多くの技術的・商業的な提案が提出されており、こうした提案に対する検討が最終段階にあると述べた。

(2)また、同次官は、現在、中国との間で、アーザーデガーン油田の開発契約を締結するための交渉を行っていると述べるとともに、現在、イラン国内のリソースを活用した初期生産が行われ、既に初期生産の第一フェーズ、第二フェーズが完了し、24の油井が掘削され、このうち17の油井が稼動し、合計して平均日量5万バレルの生産が行われていると述べた。

2. 中国企業による北アーザーデガーン油田の掘削(8日付Iran Oil and Gas)

中国のGreat Wall Drilling Co.(GWDC)社(CNPC傘下企業)は、4つの掘削リグを所有し、イランの様々な地域で油田の掘削を活発に行っている。イラン国営石油会社掘削局との契約に基づき、GWDC社所有の2つの掘削リグがイラン西部および南西部で活動している他、北アーザーデガーン油田およびマスジェデ・ソレイマーン油田で活動している。GWDC社はイランでの活動を拡大しており、さらにイランにおいて陸上掘削リグを追加する見込みであり、新たなリグは、北アーザーデガーンおよび南アーザーデガーン油田で活用されることになるであろう。

3. ヤードアーヴァラーン(Yad-avaran)油田掘削の入札結果(7日付Iran Oil and Gas)

(1)OEOC(Oil Exploration Operation Co.)(イラン企業)は、ヤードアーヴァラーン油田(南アーザーデガーン油田の南部に位置する油田)開発向けの陸上掘削リグを受注した。この入札には、Dana Drilling Co.(イラン企業)、OECD、National Iranian Drilling Co.(NIDC)(イラン企業)、Sepanta International Company(イラン企業)、GWDC(中国企業)が参加。この油田開発では、7つの掘削リグを用いて45の油井が掘削される予定となっており、OEOCの他、NIDCが2つの掘削リグを提供し、3つの掘削リグを中国企業が提供する見通しである。

(2)ヤードアーヴァラーン油田は、2007年12月に中国シノペック社がイラン国営企業とバイバック契約を締結している。

日本は国際石油開発帝石INPEX)が持っていたアザデガーン油田の権益を、米国の圧力と制裁により放棄し、アザデガーン油田開発から撤退した。「日の丸油田開発」は実現しなかった。日本は米国の対イラン政策に従属した。日本が放棄した権益を中国の石油会社が手に入れることになる。日本は米国の制裁に従うことで、米国のご機嫌に沿うことになった。しかし、日本にとって、それが本当に正しい選択なのだろうか。日本が放棄した権益を、中国が代わって権益をとるのでは、制裁の意味もない。ただ、日本だけが損をするだけだ。

トルコ=シリア関係

東京新聞にトルコ=シリア関係について報道している。

「シリア、トルコ両国間の貿易が拡大している。二〇〇四年には関税を原則廃止する自由貿易協定(FTA)に調印、〇九年には入国ビザを相互に免除するなど、両政府が環境を整備してきた。米国からテロ支援国家に指定され、経済制裁を受けるシリアは、トルコとの関係接近で経済成長を図る。トルコには、シリアを足掛かりにアラブ圏で存在感を高めたい思惑もある。(シリア中部ホムスで、内田康)

 マジェド・ハエクさん(52)がホムスで営む屋根瓦製造工場は、売り上げがこの七年で倍増した。トルコから工作機械を追加購入し、生産ラインを増やしたためだ。 「ビザ免除はありがたい。思い立った時にトルコの取引先まで飛んで行ける」 ハエクさんの工場は一九九三年からトルコ製工作機械を使っているが、ビザが免除されるまでは半年に一回、首都ダマスカスで申請する必要があった。最近は陸路国境の審査官も増加。両国を結ぶ道路も拡張された。 「〇四年ごろまでは国境審査で五時間待つこともあった。今は長くて十五分。ホムスからアンタクヤ(トルコ南部)まで、車でたった三時間だよ」とハエクさん。〇八年の両国の貿易額は十七億ドル(約千三百七十億円)で前年比五割増。トルコは建設資材、シリアは石油、綿織物などを輸出する。トルコの大手ホテルチェーンも昨年、ダマスカスに進出した。両国はこれまで、ユーフラテス川の利水問題で対立。トルコのクルド人非合法組織クルド労働者党(PKK)にシリアがキャンプ地を提供していたこともあって、関係はしばしば緊張した。一九九八年にシリアがオジャランPKK党首を追放すると雪解けが始まり、〇四年には、アサド大統領がシリアの国家元首として初めて、トルコを訪問した。シリアの国民一人当たり所得は中東でも最低レベル。死去した父の跡を継いで二〇〇〇年に就任したアサド大統領にとって、経済の底上げは重要課題だった。レバノンイスラムシーア派組織ヒズボラへの支援などを理由に米国からテロ支援国家に指定され、〇四年には米国製品禁輸の制裁を受けて国際的孤立を深める中、トルコとの接近は外交的にも有益だ。

 一方のトルコのエルドアン政権は核開発を進めるイランを擁護するなど、東方のイスラム圏を重視した外交を進める。シリアは人口がトルコの三割に満たず、市場規模には限りがあるが、アラブ圏の十七カ国・地域でつくる「大アラブ自由貿易地域」の加盟国。トルコ資本がシリアに生産拠点を置けば、各国に無関税で輸出できる。

 シリアでトルコ製工作機械を売るトルコ人業者エルトルール・ナジャルさん(52)も「シリアで工作機械を生産し、アラブ一帯に輸出するのが目標だ」と意気込んだ。」

 エルドアン政権は、イスラム色があることで、欧米メディアから偏見をもって見られている。日本の報道も欧米の報道の影響を受けている。このため、エルドアン政権やAKP(公正発展党)について、ネガティブに報道することがある。しかし、現実はトルコの歴代の政権が欧米志向であって、中東イスラム諸国との関係を等閑視してきた。この方向をエルドアン政権はその方向に舵を切った。トルコの経済にも追い風になっている。トルコが中東アラブ諸国との関係を深め、その経済的な効果が徐々に現れつつある。

トルコの東方志向は、トルコにとって新たな可能性を切り開きつつある。

日中露共同によるタタールスタンでの開発投資

ロシアの新聞社の報道によると、ロシア大統領補佐官セルゲイ・プリホジコ(Sergei Prikhodko)氏は、「中国、ロシア、日本の3カ国は11月13~14日、横浜で開かれる第18回アジア太平洋経済協力会議APEC)サミットの期間中に、大規模な国際協力を行なう協定書を調印する」事を明らかにした。共同で10億6000万米ドルを投資し、ロシア連邦タタールスタン共和国アンモニアメタノール、粉末カルバミドを生産する化学コンビナートを建設し、現存の工業用硝酸アンモニウムの生産工場も改造する予定だ。

調印はロシアのアンモニア生産企業と日本の三菱重工双日株式会社、中国の中国化工集団公司(ChemChina)からなる国際企業連合との間で行なわれる。化学コンビナートはタタールスタン共和国メンデレーエフスク市に建設される予定だ。

タタールスタンは、ロシア連邦内にある民族共和国で人口の半数がトルコ系タタール人である。日本にとって関係が薄いと思われるタタールスタンで日本の大型投資が行われる。日本のロシア投資によって、タタールスタンが潤うのか、連邦のモスクワが潤うのかはまだ分からない。いずれにしても、日本がタタールスタンと関係を深めることきっかけになるかもしれない。それがもっと幅広い人的な交流が深まるようになることを期待したい。

東京回教学校(Mekteb-i Islamiye)


この写真に写っている手前の建物は、旧東京回教寺院、奥が回教学校で、1938年頃に撮影された。

この建物は現存している。戦前にはロシア革命で東京に避難したタタール人の子供たちが学んだ。戦後はトルコ学校となって、トルコから教員が派遣され、トルコに移住するタタール人の子供にトルコ語で授業が行われた。

この学校は小学校の初等教育だけで、この学校を卒業すると、別の学校に進学した。この建物は老朽化して、取り壊されるという噂がある。

日本にいたタタール人に関して、現存している唯一の建造物である。

ロシア連邦はイスラム化?

ロシアの国勢調査の結果が公表された。それによると、ロシアの人口が1993年の1億4856万から2008年の1億4200万と、656万人の減少となった。近隣諸国(旧ソ連邦の構成共和国)からの流入があったため、この程度の人口減少にすんだ。流入がなければ、ロシアの人口減少は1240万になっていた。

メドジェヴェーエフ政権はロシアが大国であることを、つねに演説で語っている。しかし、人口が減少する国が大国を維持することは難しい。少子高齢化で衰退期に向かっている日本と同じ状況にある。しかし、ロシアと日本の違いは、ロシアにイスラム教徒の流入とロシア南部でのイスラム系民族の出生率が高まっていることである。

タジキスタンなどからロシアへ人口流入が起こっている。これらの人々は労働者として、いわゆる3K労働に従事している。ロシアをイスラム教徒が底辺で支えている。これをスラブ人たちが享受しているのが実情である。米国が移民に支えられているのと似た状況にあるが、ロシアは米国とは違い国家の活性化や活力には向かってはいない。

21世紀、確かにロシアのイスラム教徒が増えていくが、彼らの地位向上がロシアにおいて、これから大きな問題となるであろう。なぜなら、ロシア人はロシア正教を信じていて、イスラムとの融和は難しいから・・・。