1990年1月20日 バクーでの虐殺

ゴルバチョフは,ゴルビーとの愛称で呼ばれ,ソ連時代にペレストロイカなど改革を推進ことで日本では彼の人気がまだ残っているようで,日本のテレビ番組では高いギャラを支払って,彼を使うことがある。ロシアでは人気のない人物となって,時代遅れの人物だ。ゴルバチョフに高いギャラを支払うのは日本のマスコミぐらだ。だから,彼も喜んで日本の番組に出演する。日本のメディアは海外からいつもバカにされている。

ソ連末期でゴルバチョフ国家元首でありながら求心力を失っていたとしても,彼の時代に起きたバクーでの事件は,歴史の一コマであるかもしれないが,ソ連の非情さとして記憶されであろう。

1990年1月20日のバクー起きた虐殺事件は,アゼルバイジャンでは「1月20日の悲劇」として,市民に追悼されている。バクーで改革を求める,子供も含む一般市民の集会の中に,ソ連軍戦車部隊が突入し,150名もの市民が戦車に轢かれ,銃弾で斃れた。この事件のあと,アゼルバイジャン共産党員たちはソ連共産党から脱党した。アゼルバイジャン人たちの民族意識を覚醒させ独立への動きが加速した。中央アジアには,そのような動くはほとんどなかったことに比べると,アゼルバイジャンには独立運動は起きていた。

ゴルバチョフは直接命令しているかは不明であるが,彼の時代に虐殺が行われている。日本のマスコミは彼の時代に起きた虐殺という悲劇を,多分全く知らないのであろう。ゴルバチョフは彼以前の共産党員と同じ思考レベルであると思う。悲劇の張本人を使う日本のメディアはおめでたい。

ソ連が戦車で市民を轢き殺す,中国天安門事件でも同じことが起きている。共産主義は人民の命よりも体制維持が大切なのだ。

1月20日共産主義がいかに人命を軽視しているかを証明した,悲劇の記念日でもある。